院長(父)のカイロとの出会い2
2009年05月20日
WHO国際基準のカイロドクター at 01:41 | Comments(0) | 骨休め
前回。父のカイロプラクティックとの出会いを紹介しました。
その続きです。
父のパーマー大学留学は、得てして家族4人の生活費や留学費用の問題、母の反対などでやむなく断念したようです。しかし、その後も高い学技を教えていたJCA(日本カイロプラクティック総連盟)と全療協という唯一の大きな団体で勉強したり、各種のセミナーに参加していたようです。
その内、会社が転勤となり、福岡に戻ってきました。父には佐賀に知人がおり、毎晩電話が掛かって来ていたことを子供心に記憶していますが、その知人と佐賀でバランスセラピースクールという学校とバランスクリニカルセンターという治療所を立ち上げたようでした。
バランスセラピースクールというのは、日本で初めての学校で「体のゆがみを脳の記憶に訴えて解消していくノウハウ」を教えるスクールです。これが平成元年のことです。父はその知人の人から何度も誘われて、カネボウを退社し、佐賀に移り住みました。
しかし、その運営は大変なもので、生まれたばかりの誰も知らないノウハウものですので、それを普及するためにかなり苦労したようです。給与もカネボウ時代の半分ほどの給与で、家族4人生活するのにギリギリの貧困生活をしていたと母が言っておりました。それまで蓄えていた資金で凌いでいたようです。
その後、父はその知人との意見が合わずにバランスセラピーから身を引いたと言っておりました。スタッフの皆さんも全員辞めたようです。そのときのスタッフの皆さんは地元で父と同じカイロプラクティックで成功されています。なぜ、あれほど普及に奔走して頑張っていたバランスセラピーを辞めたのか?それは今も謎です!
その後は、佐賀文化会館の隣にあります日の出交番の前(若楠三丁目)で16年間ほどカイロプラクティックのセンターを開業しておりました。また、いくつかのカイロの学校や団体にも講師で行っていたようです。
私が高校卒業後、カイロプラクティックの道を目指したのも父の一生懸命な姿をいつも見ていたからです。父は、きっと海外のカイロ大学に行けなかったことが誰よりも勉強する習慣になったのでしょうね!私が医学やカイロのことを尋ねても大抵のことは返答してくれます。それもそのはず、家は昔から本だらけでした。
その影響でしょう、私はオーストラリアのメルボルンにあるロイヤルメルボルン工科大学のカイロプラクティック生命学科日本校(RMIT)に入学しようと決めました。同じカイロを学ぶのなら、本場で学ぶことが大切と思いましたし、父も本当のカイロプラクティックを本場で学ぶようにアドバイスしてくれました。
いざ入学してみると授業はかなり難しく、医学であるために理科系の内容は必須ですし、殆どの授業は医科大学や理科大学系の先生が教えに来ます。試験も頻繁にありますし、2年生ぐらいまではあまり遊ぶ時間がありません。
授業内容も一般の医科大学とほぼ同じで手術等はなく、薬学に関しては広く浅くで、特に神経系や筋骨格系、鑑別診断やカイロ的治療の方法があります。カイロプラクティックに関する授業は、教育指導を受けたアメリカ政府公認のカイロドクター(D.C.)が教えます。
授業時間数だけで、最低4200時間以上です。私の場合は、5000時間ぐらいにはなるでしょう。3年生の後半や4年生になると学生クリニックに入ります。これにも試験があります。そして卒業までに数百人の治療が必要です。その後は患者さんのケース研究報告等の資料作成と提出、発表などがあります。それら全てをクリアすれば卒業です。
私の場合は、オーストラリア政府公認のカイロドクターになります。アメリカやカナダ、フランスではD.C.(カイロプラクティック・ドクター)といい、オーストラリアではヨーロッパ型で2つの学位「B.App.Sc. (chiro.)、B.Sc.(chiro)」を取得して同じカイロドクターとなります。
このドクター学位があれば、認可国で働くこともできますし、その国の開業試験に合格すれば開業も可能です。しかし、先進国の日本の中では法制化されておりませんので、保険も使えませんし、レントゲン撮影もできません。保険が使えない分、自由診療ですのできっちりしっかり早期に改善する必要があります。
そうでなければ、患者さんが来てくれませんね^^;
カイロプラクティックは、世界保健機関(WHO)にも医療として登録され、世界の国々で国民の健康に関る人気の職業です。日本国内でも数人の整形外科医がカイロ大学を卒業しています。
今は佐賀に帰省しましたので、父と私で佐賀のカイロ界を引き上げながら日々の診療に努力しています。痛みやシビレが無くても体のゆがみはチェックしてみて下さい。人間の体も定期健診が必要です。
その続きです。
父のパーマー大学留学は、得てして家族4人の生活費や留学費用の問題、母の反対などでやむなく断念したようです。しかし、その後も高い学技を教えていたJCA(日本カイロプラクティック総連盟)と全療協という唯一の大きな団体で勉強したり、各種のセミナーに参加していたようです。
その内、会社が転勤となり、福岡に戻ってきました。父には佐賀に知人がおり、毎晩電話が掛かって来ていたことを子供心に記憶していますが、その知人と佐賀でバランスセラピースクールという学校とバランスクリニカルセンターという治療所を立ち上げたようでした。
バランスセラピースクールというのは、日本で初めての学校で「体のゆがみを脳の記憶に訴えて解消していくノウハウ」を教えるスクールです。これが平成元年のことです。父はその知人の人から何度も誘われて、カネボウを退社し、佐賀に移り住みました。
しかし、その運営は大変なもので、生まれたばかりの誰も知らないノウハウものですので、それを普及するためにかなり苦労したようです。給与もカネボウ時代の半分ほどの給与で、家族4人生活するのにギリギリの貧困生活をしていたと母が言っておりました。それまで蓄えていた資金で凌いでいたようです。
その後、父はその知人との意見が合わずにバランスセラピーから身を引いたと言っておりました。スタッフの皆さんも全員辞めたようです。そのときのスタッフの皆さんは地元で父と同じカイロプラクティックで成功されています。なぜ、あれほど普及に奔走して頑張っていたバランスセラピーを辞めたのか?それは今も謎です!
その後は、佐賀文化会館の隣にあります日の出交番の前(若楠三丁目)で16年間ほどカイロプラクティックのセンターを開業しておりました。また、いくつかのカイロの学校や団体にも講師で行っていたようです。
私が高校卒業後、カイロプラクティックの道を目指したのも父の一生懸命な姿をいつも見ていたからです。父は、きっと海外のカイロ大学に行けなかったことが誰よりも勉強する習慣になったのでしょうね!私が医学やカイロのことを尋ねても大抵のことは返答してくれます。それもそのはず、家は昔から本だらけでした。
その影響でしょう、私はオーストラリアのメルボルンにあるロイヤルメルボルン工科大学のカイロプラクティック生命学科日本校(RMIT)に入学しようと決めました。同じカイロを学ぶのなら、本場で学ぶことが大切と思いましたし、父も本当のカイロプラクティックを本場で学ぶようにアドバイスしてくれました。
いざ入学してみると授業はかなり難しく、医学であるために理科系の内容は必須ですし、殆どの授業は医科大学や理科大学系の先生が教えに来ます。試験も頻繁にありますし、2年生ぐらいまではあまり遊ぶ時間がありません。
授業内容も一般の医科大学とほぼ同じで手術等はなく、薬学に関しては広く浅くで、特に神経系や筋骨格系、鑑別診断やカイロ的治療の方法があります。カイロプラクティックに関する授業は、教育指導を受けたアメリカ政府公認のカイロドクター(D.C.)が教えます。
授業時間数だけで、最低4200時間以上です。私の場合は、5000時間ぐらいにはなるでしょう。3年生の後半や4年生になると学生クリニックに入ります。これにも試験があります。そして卒業までに数百人の治療が必要です。その後は患者さんのケース研究報告等の資料作成と提出、発表などがあります。それら全てをクリアすれば卒業です。


そうでなければ、患者さんが来てくれませんね^^;
カイロプラクティックは、世界保健機関(WHO)にも医療として登録され、世界の国々で国民の健康に関る人気の職業です。日本国内でも数人の整形外科医がカイロ大学を卒業しています。
今は佐賀に帰省しましたので、父と私で佐賀のカイロ界を引き上げながら日々の診療に努力しています。痛みやシビレが無くても体のゆがみはチェックしてみて下さい。人間の体も定期健診が必要です。